成等寺とは・浄土真宗本願寺派1217年建立

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成等寺の歴史

1217年健保5年 創建
青塚山無量院成等寺は、茨城県ひたちなか市にある浄土真宗本願寺派の寺院になります。創建年代は健保5年(1217年)、藤原孝秀入道唯順(藤原基親朝臣藤原孝秀丸)により建立されました。その創建の地は青塚村と伝えられ、現在の茨城県常陸那珂港付近であったといわれています。この青塚村は俗に云う千々乱風の天災により、約390年前に廃村になっています。
創建当初、成等寺は他宗の寺院であったと推測されますが、宗祖親鸞聖人が当時の常陸国にて布教活動をされていましたときに浄土真宗へ帰依したものと考えられます。爾来、現二十五世住職まで数えておよそ700有余年、連綿としてお念仏が相続され阿弥陀如来さまの「み教え」が受け継がれてきました。しかしながら、その歴史をかえりみますと幾多の変遷、法難もありました。
1617年元和3年 天災「千々乱風」
1ヶ月あるいは75日間にも及んだといわれる大風により、青塚村外二ヶ村は崩壊し、寺族並びに村人はそれぞれ新天地である馬渡の上宿・中宿・下宿、長砂横道、阿字ヶ浦の一部へと移り住んだと伝えられています。当山第十一世の代であり、成等寺も馬渡大山に70余年とどまり、その後第十三世の代、元禄2年(1689年)水戸藩主の命により現在地に移転されました。
1864年元治元年 天狗党の乱
ときの幕府と天狗党(水戸藩内外攘夷派浪士)の戦乱に巻き込まれ、成等寺本堂、鐘楼、山門および庫裡がことごとく兵火をかぶり焼失します。しかし当時の第二十一世住職により、すぐさま本堂および庫裡が再建されました。当山中興の祖と尊崇され、中興の碑が第二十二世により建立されています。しかし第二十二世が滅後まもなく、再び火災にあい本堂および書庫を焼失します。この近年二度にわたる火災により法宝物・書物の大半を失いました。
1943年昭和18年 現本堂再建
物資困窮極まる激動の時代、第二十三世住職によって門信徒一丸となり再び本堂が再建されます。その後、昭和49年庫裡の新築に始まり、築庭、墓地の新設等、境内が整備されていきました。現在は平成21年より二十五世住職が法務にあたっております。
現在
今日に至るまで多くの困難・法難があったであろうなか、お念仏の「み教え」が700有余年相続されてきましたのは、多くの門信徒の力強いご懇念があったからにちがいありません。先人より受け継がれてきましたお念仏を後世に伝え、浄土真宗の法統を護持する地域のお寺として歩んでまいりたいと思うことでございます。
〔宗名〕浄土真宗
〔宗祖〕親鸞聖人
〔宗派〕浄土真宗本願寺派
〔本山〕龍谷山 本願寺(西本願寺)
〔本尊〕阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
成等寺の境内
入口写真
本殿写真
庫裡写真
小門写真
成等寺境内全図
成等寺境内全図

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